■幸せ論 営-9■ | 表参道ではたらく『営業女』

■幸せ論 営-9■

みなさまこんにちは!


第二回ブロガーの輪。


今回のお題は、「幸せ」についてです。


う~ん、私が幸せだと思うのはどんな時かな?

 

美味しいものを食べた時、いい映画を見た時、いい本を読んだ時、お腹の底から笑った時、自分にはいい仲間がいるなと思った時、その仲間と喜びを共有できた時、女友達とご飯を食べながらおしゃべりをして過ごす時、人から感謝されてこんな私でもお役に立てたかしらと思えた時、人から必要とされていると思った時、久しぶりに会った家族と楽しい時間を過ごした時、パン屋さんの美味しそうなパンの匂いをかいだ時、そのパン屋さんで買ったパンがとても美味しかった時、ドリップしたコーヒーの香りが部屋中に広がった時、仕事前にカフェで過ごす時間、干したふかふかの布団に入って眠る時、ふと見た空がとても青くて気持ちよかった時、ふと見た夜空の星がとても綺麗に見えて嬉しかった時、朝の目覚めが爽快だった時、横断歩道にたどり着いた瞬間に信号が青になった時、洋服のポケットからなぜか五百円玉が出てきた時、当たりつき棒アイスの「あ」の字が見えた時!!


おや?ちょっとズレて来たのでこの辺で。。(^^;)


でも、こうしてみると、「幸せ」って日常の身近な所にあるんだな。

別に特別な事でも、難しいことでもない。

生きてさえいれば、幸せは身の回りにいくらでもあるのです。


そう。生きていればね。。


。。。。。。。。。。。。。。。



私の弟は26歳の時に癌の告知を受けました。


しかも、リンパの癌でしたので、全身のいたるところにも転移しやすく、治療がかなり難しいとのことでした。それを母から聞いた時は、相当のショックでした。自分の親はいつか先に居なくなる事は分かっていても、自分より年下の弟が自分より先に居なくなるかも知れないと、誰が想像するでしょう。しかも、まだ20代なのに。。それは、当然、母親も、もちろん本人も同じだったようです。


ある時、病院のベットの上で、弟の体を拭いてやっていた母に弟が言ったそうです。


「本当は、俺がこうやってお袋の世話をするはずだったのに。

これじゃ、逆だよ。ごめん。。」


弟にすれば、ある時期から私たち兄弟3人を女手ひとつで育てくれた母に、親孝行と言えるような事を出来ていなかった事が、とても悔やまれたのでしょう。担当の看護婦さんにも、同じようなことを言っていたようです。


辛い治療が始まりました。今の医療技術では、これが効かなければ、もう打つ術はないという最も強いレベルの治療です。そんな中でも、弟は前向きで、また、母や周囲の人への配慮もありました。治療で気分が悪いことも多く、そんな時に、人に会うのは疲れるし、特に身内にはイライラしてあったってしまうかもしれないからと、私達身内でさえも、治療のある日や気分が悪い日を避けて病院に来て欲しいと言われました。こうして、弟は、病気と懸命に戦っていたのです。


そして現在・・・


弟は元気です。

退院から一年後に結婚しました。(相手は、入院した病院の担当の看護婦さんです^^)。治療の後遺症が心配されましたが、三人の子宝にも恵まれています。実家とは離れた所に住んでいながら、我が実家の跡取として、田舎の面倒な地域行事にもきちんと参加する、なかなかの孝行息子です。まるで、それまでの親不孝を挽回するかのように。。昔は、女性には全くモテないし、ぼーっとしてて、どこに行っても何をやってもぱっとしない、毎日を惰性で生きているようなダメダメダメンズの弟でしたが(←いくら身内だからって言い過ぎ?笑)、病気になってから変ったようです。以前より、ずっとイキイキとして幸せそうだし、平凡ながらも一生懸命生きているように思えます。「生」と「死」の狭間で、何か大切な事を得て戻ってきたのであろう弟を、実は、私はある意味、尊敬しているのです。


そしてそんな弟を見ると、考えさせられます。


幸せの根源は「生きていられる事」なんだなと。

 

当たり前の事ですが。


でも、その当たり前の「生きている事」、「生かされている事」を幸せな事だと感謝しよう。

そして、与えられた一日一日、一瞬一瞬を悔いのないように大切に、味わって生きよう。

そこから、全ての幸せが始まるのだから。


そんな事を思うのです。



 

くどくどと述べてまいりましたが、つまりは・・・・






<営業女の幸せ論>

  

「生きてりゃ、幸せ。」 

 

BY 営業女





結論、最初に言えって?(汗


長文読まされて疲れたって?(汗


スミマセン。。(^^;


最後まで読んでいただきまして頂きまして、

ありがとうございました。m(__)m